修羅場の後

妻の不倫から離婚まで

修羅場の夜の後・・・

あの思い出すだけでも鼓動が早くなる修羅場の夜の後

元妻は少しは反省したのか

家の中から間男からのプレゼントグッズが消えました。

しばらくは比較的穏やかに接してくるようになりました。

「まあ直接的な攻撃が減った」というくらいですね。

私も、家に帰る度に、可能な限り元妻の負担を減らしたいと思い

掃除・洗濯・旗振り当番・子供の習い事の送り迎えなど、自分の出来ることをやりました。

出来ない料理にも挑戦し、夕食を作ったり奮闘しました。(おかげで料理が少しできるようになりました)

ただどうしても週1日のみなので、出来ることは限られます。

いつしか冬になっていました。

この地獄のような状態がもう1年近く続いており、先が見えない状況・・・

 

妻の爆発

ある日の夕食後に

元妻は、上の子が返事をしなかったことに激高し、子供を怒鳴りつけ

家を飛び出していきました。

子供に対してそんな態度をとるのをみたのは初めてだったと思います。

しばらく待っても帰ってこないので

外に探しに出かけました。

しばらく探すと

近所の競技場の前で泣いていました。

「長男は反抗期。普段は我慢できるけど今日はイライラしてぶつけてしまった」

泣きながら言いました。

暗に「あなたが家にいるからよ」と言っているのかな?と勘ぐってしまいました。

まあ、母親が明らかに不倫しているのがわかる状態に巻き込まれたらそりゃ反抗期にもなりますよ。もし私だったら口をきかなくなります。

その日は家に連れて帰リました。

元妻が情緒不安定になっているのはわかりました。本当は情緒不安定で泣きたいのはこっちなんですけどね。

その後、1か月

元妻は私が送るメールに対し「既読スルー」「未読スルー」が増えていきました。

 

そして

元妻家を飛び出し事件から1か月後

ラインで「離婚したい」と伝えてきました。

「あなたといると私は心からの笑顔になれません。頭では周りの色々な人たちのために一緒にいなければならないとわかってはいるけれど、残念ながら幸せではありません。」と。

元妻からちゃんと離婚の意思を伝えられたのはこれが初めてでした。ものすごい長文メールでした。

私のその時の感情は

もう覚悟ができていたので、驚くほど冷静でした。

間男を家に入れたりせず、私にわからないようにして

このようにリスペクトを持って最初から話してくれたらお互い苦しまなくて良かったのに。

不倫だっていけないことだけど、何で私にわからないようにやってくれなかったのか・・・。

そう思っていました。

元妻と離婚すること自体は、この時には何の問題もありませんでした。

懸念は子供のことだけです。

私が子供に会えなくなる、という事態だけは絶対にさせないと強く決意しました。

翌日「離婚は受け入れる」

と元妻に伝えました。

離婚協議の話し合い

「実家依存」の妻との離婚戦争開始

 

 

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